新刊紹介

図説日本のユスリカ 日本ユスリカ協会 (2010) 文一総合出版,東京,353 頁,12,000 円(税別)(ISBN978-4-8299-1172-3 C3645)

 ユスリカ(ハエ目:ユスリカ科)は世界で 15,000 種,日本で約 2,000 種が知られているという.幼虫は湖沼や渓流から河口までの淡水域でしばしば優占種となり,ときには海水域にも生息する.中には陸生や湿生の種も知られており,ヒマラヤの高地や南極でも見つかっている.多くの種の幼虫は水底の有機残渣や藻類を食べているが,ミミズや甲殻類,他のユスリカの幼虫を捕食するものや,カゲロウやトビケラ,ヘビトンボなどに寄生するものもいる.陸生の種ではイネや野菜などの農作物を食害するものも知られている.また,幼虫が水質判定に利用されることもある.さらに,幼虫は魚類などの餌となり食物連鎖の底辺を支えている.一部の幼虫がアカムシと呼ばれ,魚釣りの餌として利用されているのは周知の事実である.熱帯アフリカのネムリユスリカが完全に乾燥して無代謝状態で休眠することは有名な話であり,昆虫生理学や遺伝学など多方面からの注目が集まっている.

 春秋によく見られる蚊柱の多くはユスリカの雄の群飛であり,雌が群飛に飛び込んで交尾する.成虫の口器は退化して吸血することはなく,寿命も1日から数日である.真冬に羽化するものもあり,餌の少ない冬季に鳥類の餌となっている.一方,幼虫や成虫のアレルゲン性についても多くの報告があり,害虫として重要な種も含まれている.

 このように生息場所が多様で食性幅も広く,きわめて興味深い生理・生態学的特性を示すユスリカは,われわれのごく身近におり,多くの害虫や有用種を含んでいるため,基礎昆虫学や応用昆虫学,生理学,生態学,遺伝学,医学など様々な分野で研究対象となっている.ところが,ユスリカは微小な昆虫であり,種数の豊富さからも分類が困難なグループとされており,わが国では種の同定を行なうのに適当な図鑑や書物がなかった.本書はこの問題を克服するために,10人の専門家が執筆し,日本ユスリカ研究会が編集・出版したものである.

 本書は図説と銘打つだけあって,巻頭に日本産の主なユスリカの成虫の写真138枚と幼虫の写真20枚,幼虫下唇板の写真107枚,生息環境を示す写真24枚,それに,ユスリカ類の成虫と幼虫の体の各部の名称を示す写真13枚などがカラーで掲載されており,門外漢にもユスリカ各種の形態的特徴がきわめて分かり易く示されている.解説部分は,1. ユスリカ科の昆虫,2. 主要種への検索,3. 近年におけるユスリカの分類学,4. ユスリカの生息環境と指標種,5. 採集・飼育法の5節で構成されており,その他に10編のコラム記事が挿入されている.

 1. では,ユスリカ科の一般的な情報の他に形態的特徴が多くの図を交えて詳述されており,検索表を活用する場合に大きな手助けとなる.2. は本書の最も中心となるべき部分で,総ページ数の2/3 に相当する234頁が割かれている.検索表は,まず,ユスリカ科と近縁のヌカカ科やブユ科,フサカ科,ホソカ科,カ科,ユスリカバエ科との区別から始まり,次いでユスリカ科の亜科の検索へと進み,その上で,亜科ごとに属の検索表が示され,所々に主要な種への検索表と種の解説が続いている.検索表は雄成虫に基づくものと,幼虫(一部は蛹も含む)に基づくものがあり,どちらかの標本しか得られなかった場合でも検索に好都合である.さらに,随所に多くの図が挿入されており,非常に親切な検索表になっている.3. では,光学顕微鏡に加えて,走査型電子顕微鏡が形態観察に威力を発揮してきたことと,近年の分子生物学的手法によって幼虫のみよる同定や隠蔽種の発見が一部の種については可能になったことなどが解説されている.4. では,ユスリカの生息場所を湖沼と大河,都市の中小河川,ため池と水田,湿地,海岸,その他の環境に分けて,それぞれの環境特性とそこに生息するユスリカの生態や構成種の特徴,指標種,問題点などについて言及されている.ここでもユスリカの広範囲にわたる環境適応性と人間生活との思いもよらぬ関連性に驚かされる.5. では,ユスリカの採集と飼育法が詳述されており,中でも,執筆者の長年の経験に基づく累代飼育法は大いに参考になる.巻末には,本書に収録された約330種の一覧表が最新の属名や種小名,命名者,分布記録とともに掲載されているので非常に便利である.また,250編以上の参考文献が掲げられている.

 本書は図説といいながら,中身はまさにユスリカ学の教科書にもなっている.本書の解説を読むだけで,いっぱしのユスリカの専門家になったような錯覚に陥る.これは,専門外の研究者にも分かり易く,ユスリカの魅力が満載された書物であることを物語っている.恐らく,他の昆虫分類群の図説を作成する場合にも,本書が大いに参考になることであろう.本会会員はもちろん,所属する大学や研究所,試験場などの図書室に,ぜひ,常備されるようお勧めしたい.

 これまで困難で敬遠されていたユスリカの同定・分類の問題を克服し,分かり易い図説の出版に尽力された10人の執筆者と写真提供者,それにユスリカ研究会の皆さんに敬意を表したい.

湯川淳一(前昆虫学会の会長、九大名誉教授(昆虫学))